2011年09月15日

18、付き添いのおばちゃんの話し

 「今朝、電話を掛けに行ったでしょう。その時に受付の奥に事務員さんか、薬剤師さんか若い可愛い女の子がいたよ。前に嫁さんの話をしていたでしょう、いっぺん見てみたら一緒に行くから。」とおばちゃんの話しであった。
 さらに「受付の側に公衆電話があるのよ。電話でも掛けに行って見てみたら。」そう付け加えてくれた。
 自宅への用事もあったので、夕方前二人で行ってみた。

 行きは居なかったが、帰る時奥から人が来た。
 「あの人よ、どう思う、いい感じの人でしょう。」おばちゃんが続けて押し付けるように言った。
 私はおばちゃんの肩を叩いて無言で歩き始めた。

 「少し詳しく聞いとくね。感じよかったでしょう。もし彼氏がいたら残念だね、しかし縁とは不思議なものだからね。私は何となく感が当たるのよね。」と部屋に着くまで話していたが私は無言だった。
 すると「あなた、ああいうタイプは嫌い。」と畳み掛けてきたので、
 「さっき見ただけですが、嫌いなタイプではないですよ。」
 「あなたも好きなタイプじゃない。」と言ってきたので、
 「おばちゃんにお任せします。と言ってしまった。
 すると、おばちゃんは「明日から色々と話を聞き出してみるからね。」と張り切って、そして楽しい様子だった。

 一週間位経ったろうか、「あのね、色々聞いてみたけど、独身でお母さんと兄弟は多いみたい。どうもお父さんは病死、彼氏がいるかいないかは分からないが男の人と付き合っている様子はないようよ。病院内の女性も詳しく知っている人いないのかな。私が聞いたから言わなかったのかな。」と独り言のように言った。
そして「もう、こうなったらモーションかけるのよ。押しの一手だね。それで行きましょう。」とまるで自分がやるように張り切っていた。

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2011年09月12日

17、病室にて W

 今日は用事で外出していたようで夜の7時過ぎに例のごとく、バタバタと院長が来た。
 「遅くなってご免、傷口は大丈夫みたいだな。明日からベッドから立つ練習に入ろうか、補助車を使えるかなー」
 そると「そこまでは。せいぜいベッドから立ち上がるところまでですかね。」と付き添いのおばちゃんが言った。
 「そうだなあ、一段一段やってみるか、そうしよう。あっ、それから労災で治療が長くかかり過ぎるのではと言ってきたから、すこしきつく言っておいた。君に会うようなことも言っていた。その時は病状の事は分からないから院長の方に聞いて下さいとはっきり言いなさい。」

 次の日、工場長に聞いてみると「本社でちゃんとしてくれていると思うよ。そんな話は聞いていないよ。」とのことだった。

 そう言えば、2月も終わろうとしている、大分長い間入院したな、と思ったものだった。
 翌朝から立ち上がりの練習に入った。
 先ず、足をスリッパに入れただけでジンとして痛みを感じる、特に足の裏側だ、とても立つ気になれない。
 そして、腰を浮かせると震えがきて生汗が出て吐き気がしてくるという状態であった。
 「また午後やってみようよ。胃に食物がない方がいいと思うから3時頃もう一回やってみようよ。」と付き添いのおばちゃんがゆっくり寝かしてくれた。

 今回は足に靴下をはいて、そのまま床に下してみた。
 すると足裏が冷たく感じた朝の時より感触はよかった、しかしまだ腰に力が入らない。
 同室の若い患者が脇を抱えてもらい、ジワーと腰を上げてみると何となく腰も伸びた。
 これまでに1時間以上かかった。
 「今日は、これまでで明日またやろう。」と同室の皆も喜び合ってくれた。

 明日はどこまで出来るだろうか、喜びと不安で複雑な思いであったが少しの運動ではあったが、夜は早くからぐっすりと眠った。
 次の日からも訓練を続け、1週間もすると完全に歩けるようになり、廊下を歩いて訓練に励むと、段々と脚に力が入ってきた。

 丁度院長室の近くまで行った時、バッタリ院長に出会った。
 「もう足どりもいいから、裏道位は少し歩いていいぞ。暖かくして付き添いのおばちゃんと必ず一緒にな、外の空気はうまいぞ。」と声をかけてくれた。
 人相も親分肌だし、眼もギョロっと大きく眼光も鋭いが、その時はオヤジさんみたいな顔つきだった。
 病院の皆だれもが優しくしてくれたことは本当に嬉しく思ったものであった。

 ネクタイの締め方を教えてくれると言った人が明日退院となる日、早速教えてもらった。
 すると本当に出来るのであった。
 まだワイシャツをちゃんと着てなかったので、後に練習して本当に出来るようになり一安心になった。
posted by むた秀敏後援会 at 08:14| ケガと人生の転機 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月08日

16、病室にて V

 はじめて起き上がる練習の時である。
 ベッドの後方の手すりにヒモを巻き付け、それを右手で引き起き上がるのであるが、頭が数センチ上がっただけでムカムカした。
 徐々に繰り返して3日目位にはLの字になることができ、それからはベッドに配膳台を置いて食べることが出来た。
 その時の食事の美味しかったことは今でも覚えている。

 それまでは付き添いのおばちゃんが口に運んでくれていたので、自分の思うように食べれないし順序も違ったりしていたが、自分で箸を握って好きなものを自由に食べられることがこんなにも美味しいことかと思ったものだった。
 白いご飯、アジの開き、味噌汁、漬物だったが、すべて食べて本当に心から合掌し、ご馳走様でしたと言ったことを鮮明に覚えている。
 食事が楽しみとは前にも述べたが、自分自身で食べることなど当たり前の事であるが改めて感激したものだった。

 付き添いのおばちゃんが「本当に美味しかったろう、これまでの多くの患者さんもあなたの様に、自分で食べられるようになった時、皆同じ顔になるの。
誰も口には出さないが心底嬉しく有難い表情になるのよ、私はその顔を見て快方へ向かっているなと思うのよ。
段々にベッドから足を下す、立ち上がる、そして歩くと順序良く辛抱強く頑張って行かねばならないね、焦ってはダメよ。」そう言ってくれた。

 また「胃腸が悪いのではないからもう食べたいものがあったら何でも言いなさい。
そして、おそらく私の付添うのは後2週間程と思うから、それまでには歩いて院内を回れるようにしようね。
まずはベッドから立ち上がる練習が最初だね、まあボチボチやろうね。」そう言って左腕をさすってくれていた。
 眼鏡にポツリと涙を落とし、「よく頑張った、よかった、よかった。切断せずに済んで本当によかった。院長先生も本当に頑張ってくれたと思うよ。
この病院にたまに付き添いに来るけど、今回は院長の様子が少し違ったように思えたね。」と小声で、これまた独り言のように話してくれた。

 今日も工場長が来てくれた。
「気分はどうだい。」ほとんど毎日のように来てくれているが、この言葉はいつも変わらない。
「自分で食べられるようになって、美味しいやろう。」はいと言うと、
「実は僕にも経験があった、起き上がって食べてみると一味違うもんな。」
「あら、付き添いのおばちゃんには失礼なことを言ったね、ごめんごめん。」

「いいですよ、それが本当ですよ。患者さんが良くなっていくのが楽しみですから、工場長さん気にせんでいいですよ。私も本当に良い方へ向かっているので安心しましたよ。」とおばちゃんは言ってくれた。
「じゃー、また明日来るからね。」と工場長が退室した。

posted by むた秀敏後援会 at 16:01| ケガと人生の転機 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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