2011年10月20日

28、ケガで人生観が変わった

 それまでの私は自分の人生について確固たる生き方を持っていなかった。
 信念の無い付和雷同的なものであった。
 その頃は特に兼業農家の家庭が暮らし向きが良かった。
 その様子を見て一つの田舎の生き方のようになっていたし、親もそれを望んでいたので、そんな生き方をしようと思っていた。

しかし、事故の後の入院生活の中で今後の自分の生活や人生は世の中に役立つ、中でも身障者や弱者の側に立って役立つ仕事をやるべきだ。
 これこそ、この試練を受けた、私の務めであると心底肝に銘じたものであった。
 痛く辛い闘病生活であったが、この時間に今後の生き方、目指す方向をしっかりと心に刻むことができたのであった。

 そして私は福岡日出麿先生の教えに従って生きて行こう、私の人生の師匠にしようと思ったものだった。
 今、若い人達にもよくいうのであるが、「早く人生の師匠を見つけなさい。そしてその師匠の生き方を自分の人生に重ね合わせて行けば、人生に大きな狂いはない。」と話している。
 人間誰しも長短はあるが、師匠を見い出す眼力もその人の才覚であると私は思う。
 そういう意味では私は最高の師匠を持って人生を送ることができたと思っているし、有難い限りである。

 私の話しに、主語がないとか、意味不明の言葉とか、妻も市長時代職員から言われていた。
 「お前たちがちゃんと聞いていないからだ。ちゃんと聞け。」と言ったことがあったが、今思えば失礼したと思っている。
 「おい、アレはどうなったかい?」すると黙っているので、「アノことたい、分からんとか。」と言ってしまい、職員はすみません、どの事ですかと聞くので「分からんとか。アイの事たい。」と言うもので益々職員は分からないようになっていた。

 このことは福岡師匠の譲りであった。
 先生の奥様から「牟田さんは主人の言うことがよく分かるね。私でも分からんことがあるから、あの調子でバカタレが、とよく言われたのよ。」と話されたのを楽しく、懐かしく思い出した。
 私も十分理解できた訳ではないが、いつも聞いていると「牟田、アレはどうなった?」と聞かれると、頭が超高速で回転し数秒で返事をするのである。
 まさに禅問答の様で、頭の活力が高まったと思っている。
 理解できないで叱られたことも再三だった。
 「おい、牟田、ホラ、この前のアレは、アノ人に言ったかい?相手の人はアノコトはドギャン言いよったかい?」
 脳が超高速回転するが、意味が理解できず数十秒時間が経つと「バカが、アノコトたい。」そして、恐る恐る言うと「本当にバカジャなかか。アイの事をアイが何と言うたかたい。」
 禅問答で鍛えられた私にも、珍問答はなかなか理解出来なかったこともあった。

 これも懐かしい思い出となっているし、市の職員にも苦労を掛けたと思っている。
 私は「竹下登元首相は自ら言語明瞭、意味不明とよく言われていたが、私は言語不明瞭、意味不明瞭。」と言い、自分でも納得していた。
 これからも、この話し方は続くものと諦めてほしい。
 身近の女房が言うのだから間違いない。
 これも私の個性の一つと独り善がり・・・・

posted by むた秀敏後援会 at 08:40| ケガと人生の転機 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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