2011年10月10日

25、身体障害の認定

 リハビリもひと月を過ぎ、もうこれ以上は難しいと診断された、複雑骨折で肉と血管の部分も思うように接続出来ずにいる状態である。

 そこで原鶴病院も退院して、北九州労災病院にて労働災害年金給付のための障害等級認定を受けることになった。
 診断の結果、6級となって障害年金受給者となったのである。
 それから40年以上もなり、障害者としての暮らしが長い。

 ケガした頃によく見た夢の一つに、左手でお茶碗を持ってサラサラとお茶漬け食べたり、昔行ってた店で「おやじさん、茶碗をもって茶漬けが、ほら、かき込めるようになったよ。」と言っていることや、元来左利きだったので、かつてのように草野球をしたり卓球したりして楽しく遊んだ頃など幾度となく夢を見ては目覚めて現実に戻ったものだった。

 そんな夢も20年余りの間で終わったように思う。
 不自由さがないと言えばウソになるが、障害者の生活が普通になって、よく言えば完全に慣れたのだとも思う。

 前述のようにして結婚した家内も、もう64歳になる。
 歳を重ね、健全な方の数倍は手数をかけるので、すまないとは口では言わないが思っている。
 人によりけりと思うが戦前生まれで、私の父も母に優しい言葉をかけた記憶などない。私も口下手なのかもしれないが、この稿を読むときには、心で感謝していることを書いておく。
 もし、妻の知り合いの方が読まれたら私も気持ちを伝えて下さい。

 こう言う私も古い人間でしょうかね。
 とは、故鶴田浩二の「傷だらけの人生」だったと思うが、
 ♪ 何から何まで 真っ暗闇よ すじの通らぬ ことばかり・・・
  しょせんこの世は 男と女 意地に裂かれる 恋もある 夢に消される意地もある ♪

 島倉千恵子の「人生いろいろ」を聞いていると全くその通りだとも思う。
 昔から、歌は世に連れ、世は歌に連れと言うが、その時々の時世を詠んでいるに違いない。
 
 話が逸れたが、身体障害者福祉法では3級と認定された。
 障害者になって人生の生き方、考え方も変わった。
 その事が、30代からの人生を大きく変えていくのである。

posted by むた秀敏後援会 at 05:49| ケガと人生の転機 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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