2011年10月03日

23、ビニールの紐細工

 原鶴の病室と言うより、ビニールの紐で松飾りや松の盆栽仕立て、鶴の立ち姿、染め糸での毬づくりなど色々な手芸が病院での流行のようになっていた。

 病室でも足の悪い人が、そのような手芸の材料費だけで作ってくれた。
 手の悪い人はそのような事が出来ないので、食事の配膳をしてやったり、散歩のとき足が悪い人の腕を抱えて歩くなどそれぞれに役割を果たして協力していた。

 雨の降る前になると、病院の前の川にいっぱいホージャ(貝)が上がってくる。
 すると夕立か、次の日が雨になるので天気予報の一つだった。
 また夜になると原鶴温泉の夜景も美しかった。

 話に戻るが、ビニールの材料で立派な風景画を作った人もいた。
 リハビリ段階の人ばかりなので、リハビリ室以外では楽しく過ごしたものだった。
 ただ夜が明けるとリハビリの事を思い気持ちが重くなるが、涙を出しながらも「終了ですよ。」との先生の言葉にホットしたものだった。
その後は温泉での治療をし、注射が済めば殆ど自由な時間だった。
 夕食前に病室全員連れだって、筑後川の堤防を散歩したし、病院の前の川で釣りをしたりして時間を過ごしたものだった。

 少し痛みに慣れたら、また重りの砂袋が一つ増した、痛くて痛くて涙が終わるまで止まらなかった。
 終了のブザーが鳴ったら直ぐに先生を呼ぶが、意地悪みたいに返事はしてもなかなか来ない、「もう早くブザーが鳴りましたよ。」と言うと、「これも、あなたの為だよ。」と最近のテレビコマーシャルで聞いたような言区だった。
 それは本当の事であるに違いない。

 訓練に訓練の日々が続いたが、思うように肘は曲がらずじまいだった。
 ビニール細工は続いて色々な物を作ってもらい、長い間、家に飾っていた。

posted by むた秀敏後援会 at 08:06| ケガと人生の転機 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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