2011年09月22日

20、揮毫のお願い

 退院も近づいた頃だった。
 「院長先生、私に掲額する書を頂けませんか」、私はかねてから院長が書を勉強されていることを知っていた。
 「いや、まだ人にあげるようなものは出来ないよ。」とのことだったが、例の押しの一手で、「退院記念として掲額し、その書を見て入院時の事を思い出し、これからの人生力強く生きて行こうと思っていますから、内容は先生の方で宜しくお願いします。」と勝手に結論付けて言った。
 すると、「分かった。君が退院するまでに書くことにしよう。」と言ってくれた。

 1週間も経たないうちに、院長先生がお呼びですよとのことで行ってみると書があり、これを贈ろうと 「照月」 の書を頂いた。
 「私は本当に嬉しかった。暗い夜でも月は照り明かりとなる、そんな人となって社会においても常にこのことを忘れずにいてほしい。ケガで苦しい死線を越えた命を世の為に照らす人に成ってほしい。君なら何か本当に役立つ者になってくれると、ここ数か月間君と共に過ごして心からそう思っている。精進して希望を持って努力しなさい。」と言葉を添えて頂いた、今も当然ながら掲額している。

 院長の言葉通りには必ずしも生きてこなかったことを反省しつつも、今もって有難く思っている、そして毎日額を見るたびに院長の顔を思い浮かべているものである。
 「先生ありがとうございました。」と部屋を出ようとした時、
「ちょっと君に話があるんだ。」
「なんですか?」
「君は高橋君と付き合っているそうだな」ああ、もうバレていたのかと思いながら、
「はい。」と言うと
「結婚を前提に考えているのか?」
「私はそのように思って交際しています。」
「それなら分かった、彼女は少々キツイが性格はいい。そして苦労して育っていて、君のことを理解しているなら私はいいと思うよ。君の一生は、今の君を理解しついてくれる人でなければならない。彼女なら僕は大丈夫と思うよ。君が結婚を考えての交際なら僕も応援するよ。」と言ってくれた。
 内心これは責任重大だと思ったものだった。
 しかし、心から心配や配慮して頂くことを有難く思ったものだった。

 揮毫と言えば、県議会議員時代に当時の井本勇知事にお願いして、「和而不同」の言葉を書いて頂いた。
 この気持ちで政治活動を続けたことだけは胸を張って言えると思っている。


posted by むた秀敏後援会 at 08:45| ケガと人生の転機 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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