2011年09月01日

14、病室にて T

 病室は、患者仲間同士仲良く過ごしていた。
 患者は入退院者も多く楽しい一面もあった。
 ただ、病人であるので本当に心から楽しいことは誰も無いのが本心である。

 そんなある日、「牟田君は彼女はいるかい、彼女らしい人は来ないようだが?」
「まだ、そんな人はいないし、こんな身になって嫁に来てくれる人などいませんよ」と言った時、
「君の今の姿を見て、来てくれる人を探すとたい。来るか来んかはやってみなければ分かるもんかい、君が病院に生コンを売ったことは話が広がって皆知っとるばい。あの調子で頑張らんば、どうせ暇だろう、生コン売って、彼女を見つけたら二つの仕事が出来るじゃろう。嫁さん探したら。」との話に
他の人も、「そうそう、今の姿を見て来てくれるのが大切なことばい。こう言っちゃいけんが、完全に良く治りはしないのだからな。人生で半年、一年休んだとしても大きな仕事をすることになるけん、牟田君頑張れよ。」と言ってくれた。
 私は話を聞くうちに涙が出てきて、掛布団を頭からかぶった。
 本当に有難い言葉だと思った。

 それから2,3日も過ぎただろうか、前に言った人が付き添いのおばちゃんに
「いい娘さんは知らんね、この病院に看護や事務方の女性もいくらかいようもん。病院もそれなりに大きいから若いもんもいるじゃんね、配膳のおばちゃん達はダメじゃが。あんた、牟田君が歩けるようになったら、連れて行かんの。」と言ってくれた。
 するとおばちゃんも「そうたいね、今時間があるときがよかね。わかった、そうしよう。」と話がまとまるのは早かった。

 ただ、歩けるようになるにはもう暫らくの時間がかかったのである。
 しかし、この頃には背を起こして食事を取るようになっていたので、容態がもう少し回復すれば近いうちに三角巾で腕をつり歩く練習へとなるのではと気にしていた頃であった。

posted by むた秀敏後援会 at 07:04| ケガと人生の転機 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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