2011年09月08日

16、病室にて V

 はじめて起き上がる練習の時である。
 ベッドの後方の手すりにヒモを巻き付け、それを右手で引き起き上がるのであるが、頭が数センチ上がっただけでムカムカした。
 徐々に繰り返して3日目位にはLの字になることができ、それからはベッドに配膳台を置いて食べることが出来た。
 その時の食事の美味しかったことは今でも覚えている。

 それまでは付き添いのおばちゃんが口に運んでくれていたので、自分の思うように食べれないし順序も違ったりしていたが、自分で箸を握って好きなものを自由に食べられることがこんなにも美味しいことかと思ったものだった。
 白いご飯、アジの開き、味噌汁、漬物だったが、すべて食べて本当に心から合掌し、ご馳走様でしたと言ったことを鮮明に覚えている。
 食事が楽しみとは前にも述べたが、自分自身で食べることなど当たり前の事であるが改めて感激したものだった。

 付き添いのおばちゃんが「本当に美味しかったろう、これまでの多くの患者さんもあなたの様に、自分で食べられるようになった時、皆同じ顔になるの。
誰も口には出さないが心底嬉しく有難い表情になるのよ、私はその顔を見て快方へ向かっているなと思うのよ。
段々にベッドから足を下す、立ち上がる、そして歩くと順序良く辛抱強く頑張って行かねばならないね、焦ってはダメよ。」そう言ってくれた。

 また「胃腸が悪いのではないからもう食べたいものがあったら何でも言いなさい。
そして、おそらく私の付添うのは後2週間程と思うから、それまでには歩いて院内を回れるようにしようね。
まずはベッドから立ち上がる練習が最初だね、まあボチボチやろうね。」そう言って左腕をさすってくれていた。
 眼鏡にポツリと涙を落とし、「よく頑張った、よかった、よかった。切断せずに済んで本当によかった。院長先生も本当に頑張ってくれたと思うよ。
この病院にたまに付き添いに来るけど、今回は院長の様子が少し違ったように思えたね。」と小声で、これまた独り言のように話してくれた。

 今日も工場長が来てくれた。
「気分はどうだい。」ほとんど毎日のように来てくれているが、この言葉はいつも変わらない。
「自分で食べられるようになって、美味しいやろう。」はいと言うと、
「実は僕にも経験があった、起き上がって食べてみると一味違うもんな。」
「あら、付き添いのおばちゃんには失礼なことを言ったね、ごめんごめん。」

「いいですよ、それが本当ですよ。患者さんが良くなっていくのが楽しみですから、工場長さん気にせんでいいですよ。私も本当に良い方へ向かっているので安心しましたよ。」とおばちゃんは言ってくれた。
「じゃー、また明日来るからね。」と工場長が退室した。

posted by むた秀敏後援会 at 16:01| ケガと人生の転機 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月05日

15、病室にて U

 「付き添いのおばちゃん、もうネクタイは今までのように出来ないね。専門店には、ワイシャツの一番上のボタンに、はめ込む作り付け型の物もあるらしいね、そんなの知らない?」と尋ねると、
 「私は知らんね、誰かに聞いとってみるよ。そうだ久留米のデパートの人を知っとけん、その人は紳士服売り場じゃないけれどもね。」と会話をしている時、

 「なんば言いよるね。ネクタイは片手だけでも締められるとばい。
そぎゃん心配せんでもよか、起き上がるようになったら教えるけん、なんでん生活の知恵があっと。
着物の帯締めの仕方も教えるけん、それも心配せんちゃよか。
少し頭を使うとたい、あんたもケガが痛くて、あんまり頭を使うとらんけん丁度よかたい。」
 との声に同室の皆が爆笑したものであった。

 同病相哀れむの言葉通り、まさに助け合いの心を互いに持つ、いい仲間達だった。
posted by むた秀敏後援会 at 08:36| ケガと人生の転機 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月01日

14、病室にて T

 病室は、患者仲間同士仲良く過ごしていた。
 患者は入退院者も多く楽しい一面もあった。
 ただ、病人であるので本当に心から楽しいことは誰も無いのが本心である。

 そんなある日、「牟田君は彼女はいるかい、彼女らしい人は来ないようだが?」
「まだ、そんな人はいないし、こんな身になって嫁に来てくれる人などいませんよ」と言った時、
「君の今の姿を見て、来てくれる人を探すとたい。来るか来んかはやってみなければ分かるもんかい、君が病院に生コンを売ったことは話が広がって皆知っとるばい。あの調子で頑張らんば、どうせ暇だろう、生コン売って、彼女を見つけたら二つの仕事が出来るじゃろう。嫁さん探したら。」との話に
他の人も、「そうそう、今の姿を見て来てくれるのが大切なことばい。こう言っちゃいけんが、完全に良く治りはしないのだからな。人生で半年、一年休んだとしても大きな仕事をすることになるけん、牟田君頑張れよ。」と言ってくれた。
 私は話を聞くうちに涙が出てきて、掛布団を頭からかぶった。
 本当に有難い言葉だと思った。

 それから2,3日も過ぎただろうか、前に言った人が付き添いのおばちゃんに
「いい娘さんは知らんね、この病院に看護や事務方の女性もいくらかいようもん。病院もそれなりに大きいから若いもんもいるじゃんね、配膳のおばちゃん達はダメじゃが。あんた、牟田君が歩けるようになったら、連れて行かんの。」と言ってくれた。
 するとおばちゃんも「そうたいね、今時間があるときがよかね。わかった、そうしよう。」と話がまとまるのは早かった。

 ただ、歩けるようになるにはもう暫らくの時間がかかったのである。
 しかし、この頃には背を起こして食事を取るようになっていたので、容態がもう少し回復すれば近いうちに三角巾で腕をつり歩く練習へとなるのではと気にしていた頃であった。

posted by むた秀敏後援会 at 07:04| ケガと人生の転機 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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