2011年09月19日

19、公衆電話の縁

 もう、この頃は散髪も立派にして友人と外食などと、病人の姿から変わってきていたが、それでもデートに誘うチャンスはなかなか出来なかった。
 それでもと思い、たびたび公衆電話を掛けに受付の方に行った。
 居れば横目でちらっと見たものだった。

 用も無いのに公衆電話を掛けに行き、時にはかかりもしない番号や話し中のふりをしていたので、後に女房の話しだが、「高橋さん(旧姓)、あの人あなたに気があるんじゃない。」と同僚から言われていたようだった。

 ♪♪ なにも言わずに このままそっと 汽車に乗ろうと 思ったものを ・・・   ベルが鳴る鳴るプラットホーム・・・さようなら、さようなら、お別れ電話の 最後の言葉 ♪♪もう亡くなられた松山恵子の歌(お別れ公衆電話)ではあるまいに、公衆電話も私を嫌いになったのではと・・・。

 しかし、それが実を結ぶ方へと向かっていたのである。
 今で言うデートらしいことだが、二人で大宰府天満宮へ行ったのである。
 その日の夕食をキャンセルにして行ったように記憶している。
 後の話しだが、天満の鳥居をくぐると縁切りになるとか、それでも逆説的に考えればと思っていた。

 ところがである、この後の話しであるが、彼女にはその時既に結納を交わした人が大阪にいたそうで、私との交際が深まるにつれ、その人との結納を破断にするのが大変だったと聞いた。
 それを私は確認したことはない、しかし相手の人には知らなかったとはいえ、申し訳ない気持ちだ。

 女房には私と結婚してくれて良かったと思う反面、なんか、どこかにトゲが刺さった気持の時もあった、今はもう昔の話しだから・・。

 昭和45年10月14日に、それこそ田中二郎院長先生の仲人のもと結婚したのである。
 昼間に結婚式そして夕方地元公民館でお披露目、その足で1泊2日の新婚旅行を軽のオンボロ車で行った。
 その事は今でもヒビイテいる、何かあると「満足な新婚旅行にも連れて行かなかった。」と言われるが事実であるので反論は出来ない。

 何事も最初が肝心との言葉は、これから結婚する人には大切にしてほしいと期待する。
 

posted by むた秀敏後援会 at 05:33| ケガと人生の転機 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月15日

18、付き添いのおばちゃんの話し

 「今朝、電話を掛けに行ったでしょう。その時に受付の奥に事務員さんか、薬剤師さんか若い可愛い女の子がいたよ。前に嫁さんの話をしていたでしょう、いっぺん見てみたら一緒に行くから。」とおばちゃんの話しであった。
 さらに「受付の側に公衆電話があるのよ。電話でも掛けに行って見てみたら。」そう付け加えてくれた。
 自宅への用事もあったので、夕方前二人で行ってみた。

 行きは居なかったが、帰る時奥から人が来た。
 「あの人よ、どう思う、いい感じの人でしょう。」おばちゃんが続けて押し付けるように言った。
 私はおばちゃんの肩を叩いて無言で歩き始めた。

 「少し詳しく聞いとくね。感じよかったでしょう。もし彼氏がいたら残念だね、しかし縁とは不思議なものだからね。私は何となく感が当たるのよね。」と部屋に着くまで話していたが私は無言だった。
 すると「あなた、ああいうタイプは嫌い。」と畳み掛けてきたので、
 「さっき見ただけですが、嫌いなタイプではないですよ。」
 「あなたも好きなタイプじゃない。」と言ってきたので、
 「おばちゃんにお任せします。と言ってしまった。
 すると、おばちゃんは「明日から色々と話を聞き出してみるからね。」と張り切って、そして楽しい様子だった。

 一週間位経ったろうか、「あのね、色々聞いてみたけど、独身でお母さんと兄弟は多いみたい。どうもお父さんは病死、彼氏がいるかいないかは分からないが男の人と付き合っている様子はないようよ。病院内の女性も詳しく知っている人いないのかな。私が聞いたから言わなかったのかな。」と独り言のように言った。
そして「もう、こうなったらモーションかけるのよ。押しの一手だね。それで行きましょう。」とまるで自分がやるように張り切っていた。

posted by むた秀敏後援会 at 08:31| ケガと人生の転機 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月12日

17、病室にて W

 今日は用事で外出していたようで夜の7時過ぎに例のごとく、バタバタと院長が来た。
 「遅くなってご免、傷口は大丈夫みたいだな。明日からベッドから立つ練習に入ろうか、補助車を使えるかなー」
 そると「そこまでは。せいぜいベッドから立ち上がるところまでですかね。」と付き添いのおばちゃんが言った。
 「そうだなあ、一段一段やってみるか、そうしよう。あっ、それから労災で治療が長くかかり過ぎるのではと言ってきたから、すこしきつく言っておいた。君に会うようなことも言っていた。その時は病状の事は分からないから院長の方に聞いて下さいとはっきり言いなさい。」

 次の日、工場長に聞いてみると「本社でちゃんとしてくれていると思うよ。そんな話は聞いていないよ。」とのことだった。

 そう言えば、2月も終わろうとしている、大分長い間入院したな、と思ったものだった。
 翌朝から立ち上がりの練習に入った。
 先ず、足をスリッパに入れただけでジンとして痛みを感じる、特に足の裏側だ、とても立つ気になれない。
 そして、腰を浮かせると震えがきて生汗が出て吐き気がしてくるという状態であった。
 「また午後やってみようよ。胃に食物がない方がいいと思うから3時頃もう一回やってみようよ。」と付き添いのおばちゃんがゆっくり寝かしてくれた。

 今回は足に靴下をはいて、そのまま床に下してみた。
 すると足裏が冷たく感じた朝の時より感触はよかった、しかしまだ腰に力が入らない。
 同室の若い患者が脇を抱えてもらい、ジワーと腰を上げてみると何となく腰も伸びた。
 これまでに1時間以上かかった。
 「今日は、これまでで明日またやろう。」と同室の皆も喜び合ってくれた。

 明日はどこまで出来るだろうか、喜びと不安で複雑な思いであったが少しの運動ではあったが、夜は早くからぐっすりと眠った。
 次の日からも訓練を続け、1週間もすると完全に歩けるようになり、廊下を歩いて訓練に励むと、段々と脚に力が入ってきた。

 丁度院長室の近くまで行った時、バッタリ院長に出会った。
 「もう足どりもいいから、裏道位は少し歩いていいぞ。暖かくして付き添いのおばちゃんと必ず一緒にな、外の空気はうまいぞ。」と声をかけてくれた。
 人相も親分肌だし、眼もギョロっと大きく眼光も鋭いが、その時はオヤジさんみたいな顔つきだった。
 病院の皆だれもが優しくしてくれたことは本当に嬉しく思ったものであった。

 ネクタイの締め方を教えてくれると言った人が明日退院となる日、早速教えてもらった。
 すると本当に出来るのであった。
 まだワイシャツをちゃんと着てなかったので、後に練習して本当に出来るようになり一安心になった。
posted by むた秀敏後援会 at 08:14| ケガと人生の転機 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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