2011年06月06日

27、実家に着く

 母が「その橋を右に曲がると家だよ、それー」と言って車を強く押した。
 小さな橋を渡って庭先に着いた。
 その瞬間、母はタオルを目に当てて言葉にならない、姉と私は人力車から降りた。
 姉が「おじいちゃん、お父さん、帰ってきたよ。」と屋根の葺き替えをしている方へ大きな声で言った。

 父と祖父は私たちを見るや、転げ落ちるように降りてきた。
 二人とも言葉にならない。
 父は私たちを見るなり、涙するだけで直ぐには言葉にはならなかった。
 祖母が家から出てきた、また祖母も涙して言葉にならない、叔母も駆けつけて来たが母と抱き合うのが精いっぱいで言葉など無い、ただ抱き合い、涙する時間が続いた。
 祖父が早う顔と足を洗って上がらんねと言ってくれたが、母たちはその声さえ聞こえなかった。
 顔を見合わせ何度も抱き合うことを繰り返していたように思う。

 すると、「あのう、料金はどなたから貰えるのですか」と人力車の人が声をかけた。
 我に返ったように母がすみません、すみませんと言って金を出そうとすると、父が家から持ってきて支払いを済ませた。

 まだ誰もその場所を動こうとしない、だいぶ時間も経った頃に再び祖父が「顔と足を洗って早う上がらんかい」と声をかけた。
 やっと気持ちが少し落ち着いたようで、顔や手足を洗いに川のほうへ向った。
 台所から芋の匂いがしてきた。
 裏の川で顔や手足を洗い下駄を履いた、初めての下駄だった。
 姉がこの川の水は飲んでもいいよと言って手ですくって飲んでいた。

 家の方には近所の人達や、近くの親類の人が話を聞いて寄ってきていた。
 皆、本当に良かった、もう帰って来ないから死んだのでは、などいろいろの話であった。
 しかし、村の人々も本当に喜んでくれた、ありがたい事だと今でもその時のことを思い出す。
 時間が経つと家族と親戚の者のみとなった、母が洗いを済ませてきた。

 お父さんと4人で仏様にお参りしようと言って仏壇の前に座りお参りを済ませた。
 朝食もしていなかったので一緒に済ませた、本当に美味しかったことを覚えている。
 祖父が私を呼び抱っこをし、本当によく帰って来たね、本当に良かったね、と私と姉を交互に抱き喜んでくれたものだった。

 姉は母が朝鮮からお産のために帰って出産したのだが、私は戦争が始まる年だったので日本に帰れず朝鮮で生まれたので、誰も私のことは知らなかったのである。





posted by むた秀敏後援会 at 08:55| 死闘の日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。