2011年05月30日

25、下関事件

 下関で鹿児島行きの列車に乗り換えるため時間があった。

 待合室でそれぞれの行き先へと待っていた、私たち三人も座って待っていた。
 母がリュックの整理をしていた、長い時間待った気がする。
 待合室は引き揚げ者と国内旅行者でいっぱいだった、人 人 人の波である。
 汽車も予定通りではなく、駅のアナウンスも大忙しである。
 そんな中、母がお手洗いに行ってくるから、ここで待っててとトイレに向った。
 姉と私はリュックの上に腰を下ろして待っていた。

 母の帰りがあまり遅いので、姉が見てくるから待っててよ、と言って母を捜しに行った。
 なかなか帰ってこないので私も母の行った方へ向った。
 やっと母と姉に会って戻ってみるとリュックが一つ無い、母が探したが見つからない。
 「アーア、大切なものが入っている方のリュックが無くなっている。」そう言って母はリュックを背負った。
 ここまで持ってきたのにと、母はとても残念がっていた。

 鹿児島行きの汽車が着いた、満席である。
 やっとの思いで乗った、身動きも出来ない。
 すると一人の兵隊さんが立って「お姉ちゃん、ぼく、ここに座りなさい」と席を空けてくれた。
 母が深々と頭を下げお礼を言っていた。
 夜行列車だけど満員というより、あふれる程の人が乗っていた。
 関門トンネルに入った、列車の中に煙が入ってきた、ゴホン、ゴホンと咳の音、暫くして明かりが見えた、門司である。
 列車は走り出し私は眠った。

 次に明かりを見たのは博多であった。
 乗客が降り、車内は大分ゆとりが出て母も座席に座ることができた。
 暗闇の中を走り続けた。
 母が「もうすぐ鳥栖よ」と言うと姉も「そう、もうすぐ着くね」と言った。
 私は全くわからない。
 母が「田代を過ぎた、次が鳥栖よ、降りる準備をしなさい」と言ってそれぞれリュックを背負った。
posted by むた秀敏後援会 at 08:49| 死闘の日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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