2011年05月26日

24、やっぱりアメリカへ?

 甲板の演芸会も終わり、皆楽しい時間を過ごし明日は佐世保港に上陸し、それぞれ帰郷することを楽しく語り合っていた。
 住所を書いて交換するなど思い思いに過ごした。
 いよいよ朝がやって来た。

 朝食をしていると今日の上陸は出来ないと話があり、佐世保港に渦が巻いて船の入港が出来ないとのことだ。
 眼下に港が見えるのに何故入港できないのかと、口々に言っているが船長からの話がなかなか無い。
 皆、口々に「おかしい、アメリカに連行されるのだろう」「やっぱりアメリカに向うんだ」
などと言っていると母が教えてくれた。

 船は鹿児島を回って太平洋へ、それから北上してアメリカへ行くそうでと、ガックリと肩を落とし、日本の船員に話をしても内容に要領を得ないので一層不安が募り、演芸会など楽しい催しをしていたので余計に心が沈んでしまった。
 口数も食欲も減り、何だか重苦しい空気に包まれた一日だった。

 翌朝、朝食が済んで全員甲板に集められた。
 そして船長からの言葉があった。
 「この船は、佐世保港には停泊船が多く、また周辺の海流が悪く入港を諦めた。鹿児島から瀬戸内海を通り広島へ向う。」
 皆、立ち上がって拍手をした。
 「日本に上陸するんだ。よかった、よかった」と喜び合っていた。
 私も姉も大喜びだったそうである。

 予定通り船は広島県の大竹港に接岸した。
 また皆の拍手が沸いた。
 それぞれに荷物を持ってタラップを降りた、その時であるアメリカの水兵がDDTを頭から降りかけた。
 ダニやノミ、シラミが付いているので頭から服から真っ白にかけられた。
 この水兵を見た瞬間に「やっぱりアメリカに着いたのだ、騙された」と思ったのである。
 しかし、その誤解は直ぐに解けた。
 日本人が収容施設に案内してくれて、夜食を食べそこでその夜を過ごした。
 本当に日本に着いたのだと心から思った。

 次の日、母が帰還の手続きのため忙しく動いていたので、姉と二人で母の帰りを待っていた。
 夕方近くになって母がこれから帰るよ、次の汽車に乗って帰るからと大竹駅へと向かい、下関行きの列車に乗った。
 座席に座ることは出来ず、通路に座って眠った。

posted by むた秀敏後援会 at 09:29| 死闘の日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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