2011年05月09日

19、鉄橋と濁流

 もう、この橋を渡ってその先を歩くと海の方に着き日本へ帰れるよ、誰となくそんな話しをしていた。
 私も、そうかな?本当かな?と思って渡る順番を待っていた。

 だがその橋は木橋で列車が走る線路の橋で、ところどころ枕木が焼け落ちている上に橋脚が壊れている所もあった。
 親達も、この橋大丈夫ですかと聞いているが大丈夫と答える人は誰もいない、皆無言である。
 しかし、恐る恐る歩き出している。

 この橋を渡らなければ遠くの山越えをしなければならなかったからである。
 それなら、この橋を渡って少しでも早く帰りたい気持ちから、この道を代表が選んだそうである。
 私達の順番が来た、そう長い橋ではなかったが私と姉には大きな川の長い橋に見えたし、下の水は赤土の濁流であった。
 私と姉は線路を跨いで渡り、母はゆっくりと歩き始めていた。

 私のすぐ後は私より1才位小さい女の子が渡っていたが、雨上がりで濡れていたので次の瞬間、その子はアッと言って川へと落ちていった。
 すると後方を渡っていたお母さんも濁流に身を投げ出し助け出そうとしたが、その行方は全く分からないのである。

 よくぞここまで帰って来てと、母も姉も私も渡り終えた瞬間に泣き出した。

 悲劇というより私の一生心から消えない光景であった。
 今でもハッキリと目に焼きついている。

 その後、梅雨時期など赤土の濁流を見るたびに何度もこのことを思い出している。
 私にとっても死と直面した出来事であった。


posted by むた秀敏後援会 at 07:17| 死闘の日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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