2011年05月05日

18、食と薬

 食べ物はと思われる方もいるだろう。
 畑にあるイモや野菜など朝鮮の人が作っているものを失敬してくる、悪く言えば盗んで来るのである。
 それを生で食べたり、煮て食べたりしていたのである。
 ほんの少しづつ頂いて来て、それをグループ毎に食べていた。
 その時、その時にある食材? と言えば聞こえはいいが、毎日泥棒しての食事であった。
 家を出てくる時には缶詰なども少しは持ってきたが、重くそして早い時期に全て食べてしまっていた。

 栄養失調の体で、今時テレビで見る難民の子供のように目はギョロットして、手足は細く腹は太ったような体型であった。
 人間、生まれた時に命を持っていれば、どうにかして生き続けるものだと思っている。
 
 もう一つ薬の話しである。
 家を出て来る時は私が病弱だったから、母が薬を持って来てくれた、しかもオグラートまで持って来てくれ、苦い薬などそれに包んで飲ませてくれていた。
 しかし、それも無くなった後は薬のニガサに泣いたりしたそうだったが、その薬も無くなった後は頭だろうが腹だろうが、すべてニンニクである。
 ニンニクの生をすり潰しさじに載せ舌の奥に入れて水で一気に飲み込む方法ばかりであった。
 ニンニクを飲み込むと胃が痛くなり、泣き出す、するといつの間にか眠ってしまい、何の病気でもニンニクで治していた。
 朝鮮の人が植えているニンニクを失敬して薬や栄養補給、味付けなどに利用していたようだ。

 今でもよく食べているが、その頃は食事と薬の双方でニンニクは宝物だった。


posted by むた秀敏後援会 at 08:22| 死闘の日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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