2011年05月17日

久しぶりの卓話

 地元若手市議会議員有志の勉強会に招かれ卓話をした。

 世の流れに周期があることはよく言われている、30年周期説、60年周期説などである。
 今年は戦後66年になり、一つの節目を迎えている。

 地震の前までは政治、経済をはじめあらゆる面において、我が国社会全体に閉塞感と言うより行き詰っていた。

 この震災が日本社会の分水嶺になったと言えるのではないか。

 これまでの社会の常識、論理、概念等々変化させることになった。
 新しい社会の流れを生み出す良き機会となったと思う。
 国のかたちもこれから先を展望したとき、大きく早く変革していかなければなるまい。
 その一つとして地域における分権と道州制の課題等も話し合った。

 久しぶりの議論が大変楽しかった。
 若い世代の発想と行動で大いに頑張ってほしいものである。
posted by むた秀敏後援会 at 05:33| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月16日

21、月あかりの粥

 10月も中旬になり晩秋の夜は寒かった。
 海辺の浜は冷たい。
 皆もそれぞれに焚き火をして食事の用意をしていた。

 私たちも母と姉の三人で石を集めカマドを作ってハンゴー2つで食事の用意をしていた。
 その時、母がリュックの底から油紙に包んだ布袋を取り出して「これ何かわかる」と言った。
 姉と私は「わからない」と言うと「覚えていないの、お米よ。これはあなたたちと今日で死ぬかもしれないとお母さんが思った時に、炊いて食べるために残しておいたのよ。
明日、大きな船に乗れば日本に帰れる、今夜このお米をお粥にして食べて元気に帰ろうね」
と母が言った。
 その夜の食事は一層美味しかった。

 「満ちゃん、秀ちゃん、もう一つ美味しいものがあるよ、何だと思う」
 「わからない」
 「リンゴだよ」と言って母はリュックの中から真っ赤なリンゴを取り出した。
 これは井上さんから貰ったの、と食べさせてくれた。
 母も本当に安心したものだと感じた。
 寒い白砂の上だったが、明日を夢見ると楽しくて三人で月を見ながらいつまでも眠れなかった。
 他の人たちも眠れずに話し声が続いていたという。

 翌朝、再び漁船に乗って帰還船に向った。
 前日の夜、お父さんが一緒に帰ったらもっと良かったのにね、と言っていたことが母の気持ちで心に陰を落しているようだった。

 私も姉もお父さんのいる家族を見ると、本当に羨ましく思えてならなかったのである。


posted by むた秀敏後援会 at 07:52| 死闘の日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月15日

神に捧げる絵画展

 久留米市在中の洋画家 青木茜雲先生の「神に捧げる絵画展」が開かれている大宰府天満宮の宝物殿に行った。
 妻が親交があり、先生の話を聞くことができ楽しく拝見した。
 それぞれの作品への作者の思いを聞くことができ、一層深みのある有意義な時間だった。

 帰り道にショウブ園のわきを通った、花びらが端午の涼風にゆれる様子が実に美しかった。
 最近、ちょくちょく大宰府に来ているが街並みの今昔を織りなす風景が好きだ。

 小学生の頃には、父と必ず新学期前に天満宮参拝に必ず訪れることが恒例だった。
 父の願いも知らずに帰り際に茶屋で梅ケ枝餅を食べることを楽しみにしていた。

 まったく、親の心子知らず、であった。
 今更ながら親不孝息子であったと反省している。

 
posted by むた秀敏後援会 at 10:24| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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