2011年05月20日

塩水洗の季節

 もう5月の中旬になった。
 東北関東大地震で明け暮れ、時の流れを見失っていた。

 ある日の早朝川の方で話し声がする。
 妻が塩水洗があっているねと言った。
 そうだ、田植えの準備だ。

 塩水の作り方は、大きな樽に水を入れ次に塩を入れるが、ここで生卵が役目を果たす。
 卵を塩水に入れ浮き上がるその塩分が適量だそうで、昔からの生活の知恵である。
 いつの頃からこの方法でやっているか知らないが、昔からである。
 その塩水に種モミを浸す。
 軽いモミが浮いて流れ出す、数回かき回し水洗いして苗床に移し苗を作るのだ。

 カエルの鳴き声が大きく長くなるにつけ、麦取りから田植えへと移っていく。
 いよいよ米づくりのシーズン到来だ。
 黄色い麦畑が緑一色の田んぼへと変わっていく。
 もうすぐ蛍がやってくる。
posted by むた秀敏後援会 at 06:21| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月19日

22、大きな船(米国の軍用運搬船)

 私達は漁船で帰還船へ向けて出航した。
 朝鮮の陸地がだんだんと遠くなっていく、いよいよ日本へ向う、そして日本に帰ることが現実のものとなった。
 本当に長い道程であったし、苦しい帰り道であった。
 母と姉も遠くなる朝鮮の港や陸地を眺めていた。
 そして目が潤んでいた。

 船が止まった、漁船からキャッチャーボートに乗り移り帰還船へ向った。
 いよいよ大きい船に乗り移った、私は水兵の肩車で船に移った。
 船は大きく、先に乗った人々が大勢いた。
 私達の後からも帰還者が続々と乗り込んできた、どれ程の人かわからないが大勢の人達であることには違いない。

 早速弁当が配られた、ご飯の缶詰と魚の煮物だった。
 ご飯をお腹いっぱい食べた、するとお腹が痛くなった、食べ過ぎたのである。
 いつものようにニンニクをと母が用意していたら、隣の人から正露丸をもらった。

 この船はアメリカ船で運航はすべて米国の船員であった。
 引き揚げ者の世話をする日本人も乗船していて、何の不自由もなく船上の生活になった。
 2、3日の航海だそうで、皆朝鮮の暮らしの話やこれから先の生活などの話が多かったそうだ。

 姉と私は甲板に上がるとビックリした、広い広いとても大きな広場のようで、走ったり他の子供たちと遊びまわった。
 船の中にいる子供達は、甲板で楽しく夕暮れ近くまで遊んでいたことを覚えている。
 私はすぐにアメリカの船長とも仲良くなった。
船員さんも良くしてくれ、私達と甲板で遊んでくれた。

明日は佐世保に入港するという前夜に演芸会があった。
佐世保港の明かりを見ながらの催しであった。
私も曲名は覚えていないが歌を歌ったことは記憶にある。
楽しいお別れ会だった。


posted by むた秀敏後援会 at 06:17| 死闘の日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月18日

ロッククライミング練習場

 四阿屋の上、筑紫神社から徒歩で15分のところにあるが知る人は少ない。

 この場所は昭和40年代までは石切り場として石材が切り出されていた所で、通称「石切り場」と」言っていた。
 石橋の部材や門柱、石垣など多方面に活用されてきたが、コンクリート製品の普及でだんだんと消費が落ち込み採算が合わなくなった。
 最盛期は馬車で運ぶ人達で盛況の時もあったようだがまさに時代の流れである。

 昔のことを知る人も少なくなり、現在は登山家のロッククライミングの練習場として知られ愛好家が楽しんでいる。
 利用者は少ないが格好の場所も少なく大いに活用してほしいものである。

 IMG_2994.jpg
 写真を撮りに自転車で行ったが、悪路で体力消耗の場所だった。 kuwa

posted by むた秀敏後援会 at 15:35| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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