2011年05月31日

はじめての二人旅(4)

 昼頃の電車で帰るつもりであったが駅で食事を済ませる予定に変え、私は駅のベンチに座り駅構内を眺めていた。
 まず客層は平日だけに団体客、修学旅行の学生、私たちを含めた高齢者、そしてビジネスマンその他に分かれる。

 夫婦のところは男性が座って女性が買い物へ、老夫婦の中には四つの小さな車付きの手押しバッグなど便利なものを利用して歩く人や、“バーさんはいつまで買い物しているのか”と独り言を言いながら待っている人など、ベンチにいると色んな人間模様が見えてくる。

 近くに100歳のおばあさんと孫娘との旅行の人もいた。
 お年寄りに関する暗い話題もあるが、元気なお年寄りが多いのも実態であろう。
 駅での人の流れや会話など聞いていると社会縮図のひとコマを垣間見ることができる。

 昼飯は本物の黒豚のトンカツを食べた、鹿児島の味だ。
posted by むた秀敏後援会 at 08:46| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月30日

25、下関事件

 下関で鹿児島行きの列車に乗り換えるため時間があった。

 待合室でそれぞれの行き先へと待っていた、私たち三人も座って待っていた。
 母がリュックの整理をしていた、長い時間待った気がする。
 待合室は引き揚げ者と国内旅行者でいっぱいだった、人 人 人の波である。
 汽車も予定通りではなく、駅のアナウンスも大忙しである。
 そんな中、母がお手洗いに行ってくるから、ここで待っててとトイレに向った。
 姉と私はリュックの上に腰を下ろして待っていた。

 母の帰りがあまり遅いので、姉が見てくるから待っててよ、と言って母を捜しに行った。
 なかなか帰ってこないので私も母の行った方へ向った。
 やっと母と姉に会って戻ってみるとリュックが一つ無い、母が探したが見つからない。
 「アーア、大切なものが入っている方のリュックが無くなっている。」そう言って母はリュックを背負った。
 ここまで持ってきたのにと、母はとても残念がっていた。

 鹿児島行きの汽車が着いた、満席である。
 やっとの思いで乗った、身動きも出来ない。
 すると一人の兵隊さんが立って「お姉ちゃん、ぼく、ここに座りなさい」と席を空けてくれた。
 母が深々と頭を下げお礼を言っていた。
 夜行列車だけど満員というより、あふれる程の人が乗っていた。
 関門トンネルに入った、列車の中に煙が入ってきた、ゴホン、ゴホンと咳の音、暫くして明かりが見えた、門司である。
 列車は走り出し私は眠った。

 次に明かりを見たのは博多であった。
 乗客が降り、車内は大分ゆとりが出て母も座席に座ることができた。
 暗闇の中を走り続けた。
 母が「もうすぐ鳥栖よ」と言うと姉も「そう、もうすぐ着くね」と言った。
 私は全くわからない。
 母が「田代を過ぎた、次が鳥栖よ、降りる準備をしなさい」と言ってそれぞれリュックを背負った。
posted by むた秀敏後援会 at 08:49| 死闘の日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月29日

はじめての二人旅(3)

 宿の近くに西本願寺鹿児島別院があったのでお参りに行った。
 門をくぐると別院だけに本山の雰囲気が感じられ、中に入ると本堂は京都本山に似て荘厳なものであった。
 暫らく静寂につつまれ、無念無想の中にお参りし寺を出た。
 時間に追われた生活をしていただけに、このようなひと時が一層楽しく感じられるものだ。

 近くで若者が催しているストリートライブへと向った。
 リズムに合わせ手拍子をとる初老の女性が楽しそうな姿が印象的であった。
 彼女も昔、このようなリズミカルな音楽に熱中していたのだろう、実に楽しそうだ。
 子供や孫に見せる姿ではなかったようだが、心から楽しんでいるようだ。

 人それぞれに生き方がある、そして年老いても自分の心は隠くせまい。
 初老の女性の気持ちがわかる。
posted by むた秀敏後援会 at 09:38| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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