2011年04月11日

11、同郷の人の助け

 歩き続けて、正確な記憶もないが、もう大分日が経った。
 その時母が言った「今日中には井上さんの家に着けると思うよ、頑張ろうね」
 姉は井上さんのことを少しは知っているようだ。
 姉が「お父さんからの連絡があってるかもしれないね」と言うと
 「そうだといいね」と母が答えた。
(井上さんは同郷立石町の出身で父母ともによく知っている歯科の先生だった。もう亡くなってあるが、子供さんたちが筑豊の方で歯科医院をされていると聞いている)
 母も何かを期待しているかのように思えた。

 少し足早になった感がした。
 夕刻の時刻になったころ、「もうすぐ井上さん家に着くよ」とその方向を指して母が言った。
 井上歯科医院の看板が見えた。
 姉が駆け足で向った。
 私も姉の後ろから走って行った。
 玄関に着くと母も直ぐに着いた。
 「ごめんください、ごめんください」

 するとおじさんが出て来た。
 「満ちゃん、秀ぼーちゃん、よく来たね。末子さん(母)早よう上がらんね」と言って皆のリュックを下ろしてくれた。
 奥からおばさんが出て来た。
「よう来たね、大変じゃったでしょう、早よう風呂にでも入らんね、後で皆でゆっくり食事ばすっけんね」と台所へと行った。
 私より大きな男の子がいた記憶がある。
(現在は田川の方で歯科医をされているとのことだが会ったことはない。)

 その夜は賑やかな食事だった。
 その後、母が井上さんに「主人から何か連絡が入っていませんか、ゴーさんからは・・」と言ったが二人とも連絡はなかったとの話しだった。
 「義美さん(父)はちゃんとする人だから、連絡が出来ずにいるんじゃない。たぶん連絡はあると思うよ」と言ってくれた。
 「もう遅いし、疲れているだろうから今日は早くやすみなさい、明日にでもゆっくり話そうよ」と言って、ここの部屋を使っていいからと一部屋与えてくれた。
 「そうそう、私達もすぐには帰れないから、お父さんが来るまで少しゆっくりしていきなさいよ、おやすみ」と言ってくれた。
 姉と私は久しぶりの布団に寝て嬉しくていつまでも母と3人川の字になって、ぐっすり眠りについた。

 翌日、私が目を覚ましたのは昼近くだったようだ。
 本当に井上さんのお陰様で私たちの今日があると思っている。
 近く、井上さんの家を訪問し、仏さんにお参りしようと思っている。
 
posted by むた秀敏後援会 at 08:02| 死闘の日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。