2011年04月04日

9、歩いて日本へ(ゴーさん見送り)

 ゴーさん家族と別れの言葉を交わした。
 「さあ、歩いて日本へ帰ろう」とぽつりと母が言って歩き出した。
 まだ、互いに涙を流して手を振っている。

 「あっそうだ、主人が帰って来たら先に行っているけど、途中井上さんのお宅に連絡を取り合うように言って下さい」とゴーさんに声をかけた。
 ゴーさんもうなずいて応えてくれた。
 互いに姿が消えるまで振り返り手を振った。

 「もう決して見ることのない所よ、お姉ちゃんも秀ちゃんもよく覚えておくのよ」と母が言った。
 お姉ちゃんは「うん分かった」と言ったが、私はその意味が分からなかった。
 歩いて日本へということが、その後に続く苦労の連続の日々のこととは全く知る由もなかった。

 母は気をまぎらすために歌を唄った。
 “お手手つないで 野道を行けば みんなかわいい小鳥になって 唄をうたえば靴が鳴る晴れたみ空に靴が鳴る”
 と姉と2人で唄って歩いた。
 しかし私は疲れてきて、お母さんダッコと度々せがんだらしいが、そんなこと出来る状況ではない。
 私は泣きながら歩き続けた。

 もう薄暗くなった。
 母が近くの朝鮮の人家に行った。
 幸いにも小屋のところを貸してもらい、今夜はここで寝ることになる。
 夕食は母が持ってきたおにぎりと少々のおかずを食べた。
 するとこの家の人が来て、お風呂に入って部屋で寝て下さいと言ってくれた。

 私たち3人は部屋でゆっくり寝ることができた。
 親切な家族に会えてよかった初日の夜であった。
posted by むた秀敏後援会 at 06:20| 死闘の日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。