2011年04月19日

旧友の思い出の宿

 市長選後、久しぶりに県議時代同期の平塚常雄さんを訪ねた。

 もう80歳を超えられて最近若干体調を崩されている。
 たまにぶらりと訪れて雑談を交わすが、やはり県議の時の話になることが多い。
 いろんなことを話して楽しく時を過ごす。

 平塚さんのことで思い出したことがある。
 「牟田君、今度の視察で奈良に行くと聞いたがお願いがある。実は学徒動員の訓練で奈良に来ていた時、奈良ホテルの周辺を行軍していた。その時、1回でも良いから一生の内にこのホテルに泊まりたいなと思っていたんだ」とのこと。
 日程調整の中で奈良ホテル泊を決め、このことを伝えると大喜びであった。

 人それぞれの思い出がある。
 改めて思い出していた。
posted by むた秀敏後援会 at 09:09| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月18日

13、姉とのバイト

 母が床に臥している間は相当長い日数だったと思う。

 井上さんにいつまでも迷惑かける訳にはいかず、姉が家事総てをやっていた。
 寒い時であったので辛い毎日であったと思うが、一生懸命にやっていた。
 私も少しは手伝っていたと思うが姉が本当に頑張ってくれたのだ。

 ある日、姉が薪積みに行くよと私の手を引いて近くに歩いて行った。
 そこには日本人の男性が薪割りをしているので、その薪を「井」の字型に積み上げていく仕事である。
 姉と二人で終日続けた。
 夕方、姉は見知らぬおじさんから赤いお札を貰い、少々の米を買って来た。
 私達生まれて初めてのアルバイトであった。

 そして一日の出来事をお母さんに話していた。
 母も寝床で横向きになって聞き入っていた。
 「お姉ちゃんと秀ちゃんで働いてお金を貰って来たんだね、それはよかったね」と言いながら二人の頭を撫でてくれた。

 母は、なかなか体調の回復が出来ないでいた。
 もう年も明け3月も下旬になっていた。
 その時、井上さんがやって来て「牟田さん、5月ごろには私達も帰る用意をするので」とのことであった。

 あと2ヶ月あまりしかない、母は「はいそうですか、私達もそろそろ帰る準備をします」と言ったが、思うように体力が付かず床にいる日々が続いていた。
 私たちはいつものアルバイトをしていた。
 そのバイトもやがて終わった。

 母の体調も幾分回復していたが、まだ歩いて帰る体力ではなかったが少々無理して井上さん宅を出て、歩く日々の生活へと戻っていくのであった。

posted by むた秀敏後援会 at 08:18| 死闘の日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月16日

弘堂国際学園の入学式

 3月の卒業式に出席していたので雰囲気は分かっていたが、しかし緊張した。
 それは独特のものを感じたからである。

 挨拶も数カ国語で通訳されるので、当然ながら文章を区切って行う。
 そのつもりで原稿を準備していたのよかったがやはり難しい。

 さすがに山本校長先生は慣れておられるし、話しの内容も良かった。
 そして感心したのは、在校生の挨拶で内容もだが日本語での言葉が1年でこれほどまでと思ったのである。
 真剣にそして意欲的に取り組む、そのことがこれほどまでに上達するのだろうと、また教え方にもと、・・・  色々思いながら会場を去った。

 この学生達の未来に幸あれと思う。
 頑張れ、弘堂国際学園!!
posted by むた秀敏後援会 at 09:18| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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