2011年04月22日

三角元熊本市長の見識

 「吸引力、福岡への人の流れ加速」西日本新聞の見出しで、九州新幹線開通一ヶ月の記事が掲載された。
 この記事を読んで思い出したことがある。

 平成11年、私が鳥栖市長選挙に初当選の時、所要を済ませて、三角保之熊本市長(当時)を訪ねた。
 昼食を共にした時、彼は 「福島知事(当時の熊本県知事)が熱心だったから私も推進の立場でいるが、私は個人的には気乗りしてないだ。
 それは博多へのストロー現象で吸い込まれて、熊本の商業は地盤沈下すると思うし、ホテルにしても日帰りが増す。人の流れも博多へと変わる。
 鳥栖だってそうなるよ、牟田ちゃん」 と言っていた。

 将来の流れを十分な予測は出来ないが当面は彼の見方の方向へいくと私も思う。
 当分の間、福岡一極集中の時代が続く。
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 当時三角氏から頂いたブランディ
posted by むた秀敏後援会 at 07:27| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月21日

14、野宿の連続

 またもや野宿の日々が続く、歩くことと野宿の繰り返しである。
 また、帰還グループの一隊と一緒になった、そして来る日も来る日も歩く、雨がひどいと小屋などの軒下で雨宿りをして過ごす。

 ほとんどが牛小屋、豚小屋、軒下、大木の根元、などで過ごすことが多かった。
 雨が降らないときは草むらに毛布で寝ていた。
 お年寄りや赤ちゃんなどは途中で死んでいくことも多かった、まさに戦場である。

 特に北鮮から帰る人々は厳しい自然環境とソ連軍や北鮮軍の中で特段に大変な状態であったと思うし、各地からの引き揚げ者でも最も過酷であったそうである。

 雨の日や雪の日も大変であったが、暑い夏にはヘビや虫などがいて、ある夜には首や腹の上をヘビが渡っていたり、目の前にヘビの顔があったりした。
 他の動物や虫などは野宿で仲良しになったものだが、いま思うとゾートとしてしまう。
 だがその時は皆がそういう生活をしているので特別な思いではなかった。
 何百日も野宿していると、その生活を皆がしているので特別とも思わないし、平然と暮らしていた。

 この頃には母も元気を取り戻していた。
 野原で子供心ながら夜空の星が綺麗だったこと、特にお月様を見ると安心な気持ちにさせてくれたことだった。
 母も姉もそして隊の皆も夜空をみてそれぞれに想いを巡らしていた。
 明るくなれば起き、暗くなれば眠る、その間は昼食もとらずただひたすらに歩き続ける。

 来る日も来る日も歩く。
 それぞれの故郷は違っても日本に帰る、帰り着くまでとの気持ちは一緒で今日歩く、そしてまた眠る日々。


posted by むた秀敏後援会 at 08:09| 死闘の日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月20日

春爛漫

 立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。
 これは古来美人のたとえであり、また女性の立ち振る舞いを言い表わした言葉でもある。

 小庭に白い牡丹はあったが赤の牡丹をもらって一層艶やかだ。
 色合いもよく、実に美しい。
 白もいつものように咲いているが、その中で古いものは30年以上にもなる。
 手入れは妻にまかせっきりだ。

 桃も咲き乱れ、はなみずきも淡いピンクの花が咲き始めている。
 もうすぐ一斉に咲き乱れ、我が家の小庭も春爛漫になる。
 
 花鳥風月は日本の自然美であり、大切にしたいものである。
 小庭に立って ふと そう思う。

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posted by むた秀敏後援会 at 17:10| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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