2011年04月27日

福岡都市圏の鳥栖

 もう古い話しで、私の記憶も正確とは言えないが、黒柳徹子さんの番組“徹子の部屋”の中で、「高速道の長崎道を走って福岡県の鳥栖ジャンクションで九州道に入って福岡空港へ向ったのよ」と帰りの道中の話があっていた。
 私は聞き流していたが、鳥栖を福岡県と思っている人は意外と多い。

 新しく開通した九州新幹線駅も博多、鳥栖、久留米まで福岡県に押し込まれている。
 経済圏もそうだし人の交流も通勤も福岡県との関係が深い。

 その中にあって、我々は佐賀県人と胸を張って大いに頑張りたいとも思う。
 だが一市民となってみると佐賀に行く機会が皆無に等しいのも事実である。
 ちょっと前までは、旅券の手続きに行っていたがそれも変わり県庁との縁は更に遠くなった。

 やはり市民の動きは福岡への傾斜が加速していく。
posted by むた秀敏後援会 at 09:13| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月26日

長崎・上海航路の復活

 かつてハウステンボスの澤田秀雄社長は上海航路の復活を語っていた。

 いま福島原発の煽りで中国観光客も激減しているが、いづれ回復することに違いない。

 上海に行った時に埠頭で上海航路だった船着場を見たが立派な岸壁であった。
 中国の友人が「ここは長崎から客船が着いていたそうですよ」と説明を聞き、感慨無量のものがあった。
 ここに長崎からの船が着いていたのかと、思いに耽っていた。

 上海航路の実現を心から待ち望んでいる一人である。

 そして、その先にシルクロードがあり、アジア、中東、ヨーロッパへと続くのである。
 日本とシルクロードを繋ぐ「夢の航路(みち)」なのだ。
 大いに夢を膨らませよう。
posted by むた秀敏後援会 at 08:30| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月25日

15、夜道を歩く

 昭和21年の秋頃のことだった。
 隊の代表の人が皆を集めて「これからは山中を歩く、ソ連軍が入って来てから、私たちに対する態度が変わってきた、見つかったら全員殺されるかもしれない。そこで、これからは昼間山中で寝て夜静かに歩く。子供たちが泣いたりしないように、もし泣いたり歩けなかったりしたら隊から外れてもらう。」などの話しがあり、昼夜真逆の生活になった。
 この生活について行けずに去って行った人々もいた。
 その人たちがどうなったか知る由もない。
 無事に日本へ帰ることが出来たのであろうか、と案ずるのみであった。

 このような日々が続く、そして、だんだんと秋も深まり寒くなってきた。
 夜などは冷たくて寝られない日もある。
 体力が衰えていくが、食べ物も少なく、日に日に人々の気持ちが荒んでいく。

 いっそ、朝鮮の所へ行ってみたらどうか?
いや心配だ、だがこのままの状況が続けば凍死するのは目に見えている。
いや見つかって死ぬ位だったら皆で殺しあって一緒に死のう。
などと思い思いの言葉が語られたそうである。

 すると代表が「明日自分が様子を見てくる、その上でまた話し合って今後のことを決めよう」とのことでその場は収まったとのことである。

 翌日、代表の話だと、「ソ連軍が進駐して来ているので日本人への当たりが悪い、もう少し山中を歩いて南進してからの方が良いのではないか」との話しになったそうである。
 もう間もなく南鮮へ入るとのことだ。

 それからまた歩き続ける日々が続いた。
昼に寝て、夜歩くのにも慣れてきた。
 前の人が歩く後をついて歩くのであるが、やはり夜道は怖い。
 その時、前方に明かりが見えた。

posted by むた秀敏後援会 at 18:42| 死闘の日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。