2011年03月31日

8、列車に乗せない

 いよいよ母が決心した。
 「明日、日本へ帰ろう」と姉に言い、官舎で最後の夜の眠りについた。
 なかなか眠れない、母も姉も寝返りをうっている。
 母が神棚に明かりをつけ、お参りしている。
 父の帰りを祈っているようだ。

 私はいつのまにか眠ってしまい朝になっていた。
 母はもう朝食の準備を終えて姉と私が起きるのを待ってくれていたようだ。
 「お姉ちゃんも秀ちゃんも起きたの」そう言ってテーブルについた。
 雨が2,3日続いていたがこの日は晴れていた。
 しかし母はなかなか動こうとしなかった、まだ父の帰りを待っているようだ。

 昼近くになった時、ゴーさんがやって来た。
 「奥様、どうされますか」
 少し時間無言でいた母が「ゴーさん駅まで一緒に来て」そう言うと、
ゴーさんは「ちょっと待っていて下さい」と言い家に行き、家族と共に再びやって来た。
 「温かくお世話様になった牟田さんを皆で見送りします」と一緒に駅に向った。

 駅に着いた。
 母がゴーさんに切符を買ってきてとお金を手渡していた。
 するとゴーさんが飛んできて、もう負けた日本人は列車に乗せないと駅員が言い、自分は何回もお願いしたが売ってくれないとのことだった。
 こんなことがあるのかと皆も驚いていたがそれが現実であった。

 ゴーさんが「次の駅まで送りますよ」と言ってくれた。
 他にも日本人がいたが乗れなかったようだ。
 母が「ゴーさん本当にありがとう、もうこれからは私達の力で帰ります」言うと、
 ゴーさんが「奥様のお腹には子供さんがいるじゃないですか、前に持っているリュックは子供のために良くないですよ」言った。
 ゴーさんの妻も「夫が送って行きますよ」と言ってくれた。

 しかし母は断りました。
 「ゴーさん、奥さん本当にありがとうございました。これからは3人で日本に帰ります、途中でどうなるか分かりませんが必ず日本へ古里に帰り着くまで頑張って行きます。お世話になりました。」と互いに抱き合い涙したのだった。

 この稿を書いている時、改めて私も涙した。

posted by むた秀敏後援会 at 10:33| 死闘の日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月30日

春よ来い

 春は名のみの、風の寒さや・・・
 寒い日が続いているが、家の周りの田んぼのあちこちでトラクターの音が響いている。
 
 春が来た。
 桜の花も咲き始めている。
 世間では大震災で暗い雰囲気だが、自然はいよいよ躍動の季節が何事も無かったようにその営みを続けている。
 
 春よこい、早くこいと歌われてきたが、春は人の心を大きく揺り動かし、そして明るくする。
 もう直ぐ4月、新しい年度のスタートである。
 明るく希望の持てる年であってほしいと心から祈るのみである。
 心のギヤをチェンジして新しい道を走り続けよう。
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posted by むた秀敏後援会 at 08:30| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月29日

白い木蓮

 地元のお寺さんで彼岸の法話があっていた。
 久しぶりで、正直言うと2回目でしかも春の彼岸は初めてだと思う。
 その日は中日にお参りに行った。

 私の檀家寺であるがこれまで両親と妻にまかせきりで、お墓に参るのがいい方だった。
 説法の中で彼岸のことも話をされたが、このことについては改めて書きたい。
 私のような生き方の者にとっては説教は心に沁みるものがあった。

 帰り道、今まで気付かずにいたのだが白い木蓮の花がいっぱい咲いている。
 この家に毎年咲いていたなんて初めての思いだった。
 何十年も咲き続けていたのだろうが気付かずにいただけに違いない。
 ただボーッとして過ぎていたのだろう。

 白い木蓮の花に改めて己の生き方の一つを気付かせて頂いた思いだった。
 車ばかりの日暮を反省し、歩く目線の生活をじっくりとしていきたいと思っている。
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 (写真は木蓮でなく こぶし)
posted by むた秀敏後援会 at 09:10| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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